「従業員から残業代の請求を受けたが、タイムカードを保管していなかった」「労働基準監督署の調査で賃金台帳の不備を指摘された」——このような労務トラブルで困る中小企業は少なくありません。労務管理における記録・証拠は、企業を守る重要な盾となります。本記事では社労士の視点から、中小企業が最低限押さえるべき記録・証拠とその保管方法を解説します。
労務管理で記録・証拠が必要な5つの理由
労務管理において記録や証拠を残すことは、法的義務であると同時に、企業を守るための実務上の必須事項です。ここでは記録が求められる5つの理由を解説します。
労働基準監督署の調査対応
労働基準監督署による調査では、労働時間記録や賃金台帳などの法定帳簿の提出が求められます。記録が不備だと是正勧告の対象となり、悪質な場合は送検されるケースもあります。労働基準法第109条では、使用者に対して労働者名簿や賃金台帳などの記録を3年間保存する義務を定めています。記録がなければ、適正な労務管理を行っていたことを証明できません。
労働紛争・裁判での立証責任
残業代請求や解雇無効などの労働紛争では、会社側に労働時間や指導内容を証明する責任があることが一般的です。民事訴訟では「主張する側が立証する」という原則がありますが、労働事件では労働者保護の観点から、会社側により重い立証責任が課される傾向にあります。適切な記録がないと、会社の主張が認められず不利な判決を受けるリスクが高まります。
助成金申請や社会保険手続き
雇用調整助成金やキャリアアップ助成金などの申請には、出勤簿や賃金台帳、雇用契約書などの提出が求められます。記録が整備されていないと、助成金の受給ができないだけでなく、不正受給を疑われるリスクもあります。また、社会保険の資格取得や報酬月額変更の手続きでも、賃金台帳などの記録が必要となります。
従業員とのトラブル予防
口頭での指導や面談内容を記録に残すことで、後日の「言った・言わない」というトラブルを防止できます。特に勤務態度の改善指導や配置転換の理由などは、記録がないと認識のズレが生じやすい事項です。記録を残し、可能であれば本人の確認サインをもらうことで、相互理解を深めることができます。
法定保存義務への対応
労働基準法や所得税法など、各種法令で書類の保存期間が定められています。保存義務に違反すると、労働基準法第120条により30万円以下の罰金が科される可能性があります。法定保存期間を守ることは、コンプライアンス経営の基本と言えます。
【場面別】残すべき記録と保管期間一覧
労務管理で残すべき記録は多岐にわたります。ここでは主要な記録と保管期間を場面別に整理します。
労働時間管理(タイムカード等)
労働時間の記録は、労働基準法第109条により3年間(2020年4月以降は5年間、当面は3年間)の保存が義務付けられています。タイムカード、勤怠管理システムの記録、業務日報などが該当します。記録方法は紙でもデジタルでも構いませんが、改ざんができない方法が望ましいです。始業・終業時刻だけでなく、休憩時間や時間外労働の時間数も明確に記録しましょう。
賃金台帳・雇用契約書
賃金台帳は労働基準法第109条により3年間(当面)、雇用契約書も同様に3年間の保存が必要です。ただし、2020年4月の民法改正により、賃金請求権の消滅時効が5年(当面は3年)に延長されたため、トラブル防止の観点からは5年間保存することが推奨されます。賃金台帳には、氏名・性別・賃金計算期間・労働日数・労働時間数・時間外労働時間数・基本給や手当の額・控除額などを記載します。
就業規則・労使協定
就業規則は労働基準法第106条により3年間の保存が義務付けられています。36協定(時間外労働・休日労働に関する協定)などの労使協定も同様です。常時10人以上の労働者を使用する事業場では、就業規則の作成と労働基準監督署への届出が義務となります。改定のたびに届出が必要なため、過去のバージョンも含めて保管しておくことが重要です。
面談記録・指導記録
面談記録や指導記録には法定保存義務はありませんが、トラブル防止の観点から3年以上の保存を推奨します。特に懲戒処分や解雇を検討する際には、事前の指導記録が重要な証拠となります。記録には日時・場所・出席者・指導内容・本人の反応などを具体的に記載し、可能であれば本人の署名をもらいましょう。
ハラスメント相談記録
ハラスメント相談記録は、男女雇用機会均等法の指針により3年間の保存が推奨されています。相談者のプライバシーに配慮しつつ、相談内容・調査結果・対応措置を記録します。相談窓口の担当者は、記録の保管場所や閲覧権限を明確にし、情報漏洩を防止する体制を整えることが求められます。
証拠能力を高める記録の残し方【実務ポイント】
記録を残すだけでなく、証拠能力を高める工夫が重要です。ここでは実務で使える5つのポイントを紹介します。
日時・当事者・内容を具体的に記録
「○月○日、△△さんに注意した」という曖昧な記録では証拠能力が低くなります。「2024年3月15日14時、応接室にて人事担当の山田と従業員の佐藤が面談。遅刻が今月3回目であることを指摘し、改善を求めた。佐藤は体調不良が理由と説明し、今後は事前連絡すると約束した」といった具体的な記述が望ましいです。客観的な事実を5W1Hで記録することで、後日の検証にも耐えられます。
本人の署名・押印を取得
面談記録や指導記録に本人の署名・押印をもらうことで、「そんな話は聞いていない」というトラブルを防止できます。署名が難しい場合は、記録内容を本人に読み上げて確認してもらい、「確認しました」という一文を追記してもらう方法もあります。メールで記録内容を送付し、「確認しました」という返信をもらうことも有効です。
デジタル記録と紙記録の併用
デジタル記録は検索性が高く保管場所を取りませんが、改ざんのリスクがあります。一方、紙記録は改ざんが比較的困難ですが、保管スペースが必要です。重要な記録は両方の形式で保管することで、改ざん防止と利便性を両立できます。デジタル記録の場合は、タイムスタンプ機能や編集履歴が残るシステムを使うと証拠能力が高まります。
第三者の立ち会い記録
重要な面談や指導には、人事担当者や上司など第三者を立ち会わせ、その旨を記録に残すことで証拠力が強化されます。特にハラスメント相談や懲戒面談では、「密室での話し合い」を避けることで、後日の「強要された」といった主張を防ぐことができます。立会人の署名も記録に残しましょう。
定期的なバックアップと保管場所
デジタル記録は定期的にバックアップを取り、複数の場所に保管します。クラウドストレージと社内サーバーの両方に保存するなど、災害時のリスク分散も考慮しましょう。紙記録は鍵付きのキャビネットに保管し、閲覧権限を明確にします。個人情報を含む記録は、アクセスログを残すことも推奨されます。
よくある「記録不足」のトラブル事例
実際の労務トラブルでは、記録不足が致命的な問題となるケースが多くあります。ここでは代表的な3つの事例を紹介します。
残業代未払い請求での敗訴
ある製造業の企業では、退職した従業員から2年分の残業代請求を受けました。会社側は「残業は指示していない」と主張しましたが、タイムカードやパソコンのログなどの客観的な記録がなく、立証できませんでした。結果として、従業員の主張がほぼ認められ、約300万円の支払いを命じられました。労働時間の記録は会社側の義務であり、記録がない場合は従業員側の主張が通りやすくなる傾向があります。
解雇無効の訴訟リスク
ある小売業の企業では、勤務態度が悪い従業員を普通解雇しました。しかし、事前の指導記録や改善の機会を与えた証拠がなかったため、裁判で解雇無効と判断されました。会社は解雇後の賃金として約500万円を支払う結果となりました。解雇は最後の手段であり、事前の指導・警告の記録が不可欠です。
労基署の是正勧告
ある運送業の企業では、労働基準監督署の調査で賃金台帳の記載不備を指摘されました。労働時間数や時間外労働時間数の記載が不正確で、一部の手当の記載も漏れていました。是正勧告を受け、過去2年分の記録を整備し直す作業に膨大な時間がかかりました。法定帳簿の不備は、企業の信用にも関わる重大な問題です。
まとめ
労務管理における記録・証拠は、企業を守るための重要な盾です。この記事でお伝えした重要なポイントは以下の3つです。
- 法定保存義務の遵守:労働時間記録や賃金台帳は最低3年間(当面)保存し、労働基準監督署の調査に備えましょう
- トラブル予防のための記録:面談記録や指導記録は法定義務ではありませんが、労働紛争を防ぐために積極的に残すことが推奨されます
- 証拠能力を高める工夫:日時・当事者・内容を具体的に記録し、本人の署名や第三者の立ち会いで証拠力を強化しましょう
記録方法や保管体制に不安がある場合は、社労士に相談することで、自社の実情に合った仕組みを構築できます。労務に関するご相談はSalt社会保険労務士法人までお気軽にお問い合わせください。初回相談は無料で承っております。